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八千代エンジニヤリングが毎月お届けするちょっとイイ話

国際災害復興支援プロジェクト バングラデシュ サイクロン「シドル」

  • 海外事業

台風のシーズンがやってきました。大雨や台風の備えはしていますか?今月は、yecがバングラデシュにサイクロンシェルターを施工したプロジェクトを通じて、現地の様子をご報告します。

多目的サイクロンシェルター建設計画

国際災害復興支援プロジェクト

Written by YAMAMOTO hisayuki 山本寿幸

私たちの生活に重大な被害を与える台風。南アジア周辺ではサイクロンと呼ばれていますが、建物やインフラの脆弱な地域での対策は、特に国際的な支援が必要となっています。


サイクロンとは

熱帯低気圧のうちインド洋北部・インド南部・太平洋南部で発生するもので、日本では『台風』、中米・北米では『ハリケーン』と呼ばれ、凄まじい暴風雨と高潮で大きな自然災害を発生させます。

サイクロン・シドル
サイクロン・シドル
(バングラデシュ)

【アジアの主なサイクロン被害(台風・ハリケーン含む)】
発生時期死者・行方不明者数風速(秒速)高潮
2008年5月ミャンマー(呼称:ナルギス)約14万人62.0m6.0m
2007年11月バングラデシュ(通称:シドル)約4,200人69.4m6.0m
1991年4月バングラデシュ約14万人72.2m8.0m
1970年11月バングラデシュ(呼称:ボラ)30~50万人62.7m10.8m
1969年9月日本(伊勢湾台風)約5,000人75.0m-
1922年7月中国約10万人--
1912年8月中国約5万人--

サイクロンが襲う

バングラデシュ南部のクルナ・ボルグナ・チッタゴン地域は、ベンガル湾に面した低湿地帯であり、そこに多くの人が生活しています。そして、そこを容赦なく毎年のようにサイクロンが襲います。

凄まじい強風と豪雨、次々に押し寄せてくる6mを超える高波。通信設備や警報設備が十分でない上に、大小の河で寸断された平野に住む人々には、こうした自然災害から逃れる場所はありません。

人々は生活の糧である家畜を捨て、村の中にわずかにある鉄筋屋根やヤシの木に登り、体をお互いに縄で縛り合い、幾重にも重なり、風速70m/秒を超える爆風に飛ばされないよう、高波に浚われないよう、歯を食いしばって耐えます。

運良く、屋根やヤシの木に登れた者は命が救われ、登れなかったものは助からない、生死の分かれ道、親子・兄弟の分かれ道、子供や年寄りの犠牲者も多く遺骸の行方も知れず、その惨状には涙が止まりません...。

バングラデシュ人民共和国

『バングラデシュ』は「ベンガル人の国」を意味し、1947年に東パキスタンとして独立した後、1971年にバングラデシュ人民共和国として独立しました。資源として天然ガスの他は特になく、平均年収が約40,000円という農業が60%近くを占める後開発途上国であり、日本の約40%の国土に約1億5千万人が暮らす人口密度世界一の国です(約990人/km2)。また、国土のほとんどが海抜10m以下の河口デルタ地帯であり、沼沢地やジャングルの多い低地となっています。識字率は約50%であり、大多数の人々は土地を持たないか、低湿地帯に居住しており、赤痢やコレラが多発するような衛生状態の極めて良くない国でもあります。

バングラデシュの地図

サイクロンシェルター

サイクロンシェルターとは、その名の通り、サイクロンが来襲した時に避難する施設です。

サイクロンの強風に耐え得る構造を持つ複層階の建物で、通常は2階以上を小学校として使用し、災害時には近辺村民の避難場所となります。

サイクロンシェルター完成予想図
【サイクロンシェルター完成予想図】

サイクロンシェルターの効果

バングラデシュはシェルター建設を1970年頃から進めて来ました。その効果は大きく、下のグラフで示されているように、シェルターが無かった1970年、又は、数が足りなかった1991年に来襲したサイクロンでは、実に15~50万人の死者・行方不明者を出していますが、2007年に来襲したサイクロン・シドルでは1,600を越えるシェルターが建設されていたため死者・行方不明者は約4,200人と大幅に減少しているのが解ります。


「もっとシェルターを!」は国民の生死を左右する切実な願いでもあります。

バングラデシュのシェルター数と死者数

【バングラデシュのシェルター数と死者数】

プロジェクトの背景

2007年11月のサイクロンでは、国内30県に及ぶ被害をもたらし、被災者数約892万(うち死者・行方不明者約4,200人)、全壊家屋約56万軒に上りました。

我が国は、直ちに医療・食料など緊急援助を実施すると共に、災害復興の為のコンサルタントを募集しました。

yecは、災害復興の分野において他社の追随を許さない実績を有していることから、本プロジェクトのコンサルタントに選定されました。

プロジェクトサイト位置図
【プロジェクトサイト位置図】

業務内容

【概略(詳細)設計調査】

JICA(国際協力機構)と契約し、現地調査・適正な援助規模や実施方法の策定・概略(詳細)設計・仕様書作成・事業費の積算などを短期間で行いました。調査は南部の4県に散在する50校を2班に分けて実施し、そのうち被害が大きく危険性の高い36校を本プロジェクトの対象校として選定しました。


【施工監理】

JICS(日本国際協力システム)と契約し、入札実施・業者選定・施工監理などを行いました。

困難を極める施工監理


【困難な日常生活】

現地にホテルはなく、民家を借りて生活しました。衛生環境はコレラや赤痢にいつ感染するか分からない恐怖との戦いの毎日となりました。また、空き巣や盗難も多発し、電力・通信・医療事情も極めて良くありませんでした。


【困難なアクセス】

建設資機材の運搬はもとより、サイトへアクセスするのは容易ではありませんでした。車で行ける学校は数校のみで、他の学校へは、車を置いて渡し船で河を渡り、バイクに乗り換えながら辿り着きました。ちなみに車は故障が絶えませんでした。南方のサイトには広大なベンガル湾を、転覆の恐怖を十分味わいながらスピードボートで行きました。なお、雨期になればサイト周辺はほとんどが水没してしまいました。


【困難な現地施工会社】

建設会社は財政能力が低く、資材の購入費や労務者の賃金を前払いしないと工事は止まってしまいます。熟練工も少なく技術力も低い上に、文化や宗教・習慣の違いもあり、信じられないことが続出します。品質確保には困難を極めました。


【求められる強靱な体力と忍耐力】

日本人の建築技術者から見れば簡単な鉄筋コンクリート造の建物ですが、バングラデシュの建設事情や現場状況からすれば、現地人を使って工事を行なうことは簡単なことではありません。常に危険と隣合わせ、ノイローゼ寸前の状況の中で監理業務をしなければならず、強い忍耐力と強靱な体力が求められました。

なお、36校の現場が同時進行するため、日本人建築技術者3名~6名を派遣し巡回監理を行ない、その下に現地常駐として現地コンサルタント30名を雇用する体制で実施しました。

現場打杭の載荷試験用重し
【現場打杭の載荷試験用重し】
機械が無いので砂袋を何千袋も積み上げて反力を取る原始的方法
2階床の配筋工事の様子
【2階床の配筋工事の様子】
2階まで躯体工事終了
【2階まで躯体工事終了】

完成の喜び

自分の村にシェルターが建設されることは、バングラデシュの人達にとって切なる願いです。

それはそのまま尊い命の安全に繋がるからです。

2008年2月、私たちは日本国への友好と援助への期待による盛大な歓迎を受けて現地入りし、同年11月より開始された施工から18カ月間で36校のシェルターを完成させました。このようなプロジェクトは従来、日本の建設会社が工事を実施しました。本プロジェクトでは当社コンサルタントが、技術力・財政力の貧弱な現地施工会社を指導しつつ、幾多の困難を乗り越え完成させるに至ったことは、ひとつの快挙であると自負しております。

完成の喜び
完成したシェルター兼小学校の前で喜びいっぱい!
「ありがとう日本!」
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