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八千代エンジニヤリングが毎月お届けするちょっとイイ話

こぼれ話 パダンの人たちと地震

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2009年9月に発生したインドネシア・パダン沖地震は、パダン地域に住む人達に大きなトラウマを残しました。yecは、JICAによる緊急復興支援のコンサルタントに選定され、小中学校の再建を実施しました。今月は、復興後、現地で見たパダンの人達の地震に対する心構えの変化等を紹介します。

「地震発生、即、避難・帰宅」

face_f99-kase.jpg2009年9月30日に発生したインドネシア・スマトラ島パダン沖地震(マグニチュード7.5)で被災したスマトラ島北部地域では、JICA・無償資金により被災した学校に対して、従前よりも安全な再建復興支援活動が実施されました。

ここでは、その後のパダンの人たちについてお話ししたいと思います。

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地震発生後、2009年12月にyec調査団はパダン・パリアマン地域に乗り込み、被災状況を調査の上、中学校3校と小学校10校の設計・施工監理を実施しました。地震の規模はM7.5と発表されていますが、建物の崩壊状況から、震度は5.0~5.5と想定されています。 新設された建物は、従前よりも耐震性が高く安全な学校建設を主旨として設計・施工されました。地震発生から8ケ月後の工事が始まり、追加建設要請を含め、2013年9月に全てのプロジェクトが完了しました。

このプロジェクトは安全な学校再建と共に、その後の防災教育も大切なテーマでした。2014年12月にバンダ・アチェ地方で発生した地震(スマトラ島沖地震)は、大きな津波を引き起こし、死者数22万人を越す大惨事となりましたが、その地震・津波の怖さはパダンの人達の心の中にも忘れられない大きな衝撃を与えていました。

 

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パダン滞在期間中にも度々小さな地震が有りました。日本では地震時に直ちに外へ飛び出すということは希ですが、ところがパダンに限らずインドネシアの人達は小さな地震でも敏感に反応し外へ飛び出します。ある晩の地震は夜10時頃でしたが、揺れを感じた直後、ホテルの廊下がたちまち騒がしくなり、上階に居た宿泊客達が階段を駆け下り出口に向かって走るなど悲鳴を伴って避難する様子が見えました。

翌日、事務所で昨晩の地震の話になりましたが、スタッフの一人は地震発生直後に下宿を飛び出し、2kmも走って兄弟の所に行ったそうです。街中には地震時の避難経路を記した看板が多くありますが、地震・津波の情報伝達が正確性に欠けることや、皆が車で避難するため、道路は大渋滞となり、結局避難できていないという状況を作り出すということは多く見られます。

また、別の日にも小さな地震が有りましたが、この時は警報が鳴りました。仕事をしていた何人かのスタッフはあっと言う間に外へ飛び出し、どこかに行ってしまい、その日は事務所に戻って来ませんでした。道路は避難する人達、渋滞で動かない車のクラクションで騒然としていました。さすがに運転手は遅くなって事務所に戻って来ましたが。

「インドネシアの建物はすぐに壊れるので中に居ると危険」という潜在意識が、「地震が発生したらすぐに外へ飛び出す」「車で逃げる」という習性を生み出しています。

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2013年3月、プロジェクトの最終検査で6カ月ぶりにパダン市に行きました。パダン市内に建設された中学校2校は3階建ての屋上が「避難場所」として設計されています。パダンに居ない時期に少し大きな地震が発生し、その時の様子を先生が話してくれました。

地震発生後、生徒達はもとより近隣の住民も直ちに学校に避難して来て、たちまち屋上は避難して来た人達で一杯になったそうです。この時の地震では被害は有りませんでしたが、夜まで学校に留まっていた人達が多く見られたそうです。 「新しい学校の建物は安全だ」という意識が近隣住民に浸透し、遠くまで逃げなくても近くに安全な避難場所があるという安心感を与えていることが判ります。

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今回yecが実施したプロジェクトでは、学校建設のみではなく、避難訓練も行っています。この避難訓練は「防災運動会」と称し、パダン市内の数カ所の学校で実施しました。 地震発生と想定し、避難、防火バケツリレー、布1枚を使ったケガ人の手当方法の学習・運搬方法の学習等を実施しました。チームを組み、それぞれ、最も早く避難、リレー、手当などができた組みには賞品を出すなど、先生や子供達の嬌声で大変盛り上がりました。

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