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八千代エンジニヤリングが毎月お届けするちょっとイイ話

戦後復興支援 ボスニア・ヘルツェゴビナの復興支援

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yecでは海外での戦後復興支援も行っています。今月と来月の2ヶ月に渡り、世界の社会問題解決の糸口として過去の戦後復興支援プロジェクトを振り返ります。

戦後復興支援

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長引く中東地域での紛争によって、シリア、イラクなどから欧州へ、難民・移民が大量に流入し、社会問題化しています。弊社では、このバルカン地域でのコンサルタント活動として、古くは、1997年に実施したボスニア・ヘルツェゴビナでの戦後復興支援(主要送電線復旧計画)があります。
今なお続く当該地域の社会問題解決の糸口として、過去のプロジェクトを振り返ります。

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ボスニア紛争は、1991年に始まったユーゴスラビア紛争に伴う旧ユーゴスラビア国の解体の中で発生した紛争です。 1992年3月に独立を宣言したボスニア・ヘルツェゴビナ(人口約430万人)は、3つの異なる民族[ボシュニャク人(ムスリム人)、セルビア人、クロアチア人] が混在しており、その内ボシュニャク人とクロアチア人が独立を推進しました。それに反してセルビア人は自治区を設立し分離を目指したため、両者間の対立は次第に深刻化し、独立宣言の翌月に軍事衝突状態となり、 全土で激しい戦闘が繰り広げられました。
3年半の争いの結果、あらゆるインフラが被害を受け、死者20万人、難民・避難民200万人が発生し、第二次世界大戦後のヨーロッパ最悪の紛争となっています。

ようやく、1995年のデイトン合意により、敵対していた2つ地域を、クロアチア人・ボシュニャク人のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、セルビア人のスルプスカ共和国というそれぞれ独立性を持つ国家体制として形成させ、両地域を一つの国として統合することで終結しました。

img_f125-01.jpgモスタルのスタリ・モスト(代表的なオスマン建築)

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ボスニア・ヘルツェゴビナ主要送電線復旧計画は、この紛争終結直後に国際平和構築支援の一環として実施されました。このプロジェクトは、社会・経済を支えた基幹インフラでありながら、激しい戦いによって、いくつも分断された400/220/110kV送電線と変電所を修復し、両地域間の電力融通を可能とさせ安定した経済活動と平和な生活を呼び戻すものでした。
当該地域はオスマン帝国時代の美しい街並みを誇っていましたが、紛争後間もない景色は映画で見る光景そのもので、市街地は銃撃戦で蜂の巣状態となっており、プロジェクトサイトの変電所の大型変圧器も集中砲火を浴び、表面は溶岩の様に変貌していました。また、町では生活物資が不足し、住民は活力に乏しく、元気に遊ぶ子供の姿は無く、人々の顔から笑顔が消え、緊張感と悲壮感が漂っていました。
弾痕が残るホテルに泊まり、地雷の残るプロジェクトサイトを踏査した経験は忘れられません。

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このプロジェクトは、英国・カナダ・日本の三カ国協調案件として実施されましたが、プロジェクトは常識の域を超え、送配電網の技術的調査やドナー間の調整は勿論のこと、何よりも昨年まで敵対していた両地域の人々の心を一つにして実施する、極めて困難なものでした。

しかも、民族の異なる両地域の代表が一つの契約書を共有し調印する必要があり、コンサルタントとしては、両関係者の合意形成のために、担当大臣の出張先の英国まで追いかけ、和解の場である合同会議ではプロジェクトの必要性・有効性を何度も繰り返し説明し、合意形成を図る活動を行いました。


そのプロジェクトの業者入札が日本で行われ、ボスニア・ヘルツェゴビナの両地域の代表者各3名に加え、地域間の中間的な立場である同国外務省担当官1名の総勢7名が来日しました。入札が無事終了し、プロジェクトが成功裏に動き出した時、両地域代表から『日本のコンサルタントが我々の祖国のために、ここまでやるとは思わなかった。大変感謝している。その意気込みとコンサルタント活動には感銘を受けた』と伝えられ、胸が熱くなったのを覚えています。

 

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