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東日本大震災から10年。
建設コンサルタントが今想うこと
Episode 1
事業統括本部国内事業部
港湾・海洋部
J.YAMAOKA
味わったことのない緊張感の中で見た風景
震災当日、岩手県の大船渡港や宮古港等がテレビの生中継で映し出されていた。私を含め当社が設計した港湾施設や防潮堤が津波にのみ込まれる映像を見て、衝撃を受けた。震災前に現地で見ていた防潮堤は「例え津波が来たとしても、実際これを越えられるわけがない」と思っていた。そんな想定をあざ笑うかのように、津波は軽く防波堤を越えて行き、その映像に言葉が出なかったことを覚えている。
震災後、私は岩手県宮古港の災害復旧調査設計を担当することとなった。震災2ヶ月後に初めて現地に入った。味わったことのない緊張感の中で見た風景は、これが現実なのかと目を疑うものばかりだった。港湾施設がひっくり返っている。船舶が陸上に乗り上げている。独特な匂いが立ち込め、乾いた風が吹きすさぶ現地で、まずは宮古港全ての港湾施設の被災調査に取り掛かった。
岩手県宮古市港湾施設被災後
死に直面した人々が暮らす場所
宮古の市街地は元々防潮堤があり、決壊した箇所はほとんど無かったせいか、被害はあったものの復旧は割と早かったと感じた。一方で、防潮堤がなかった地区は壊滅的なダメージを受けており、家が一軒もなく悲壮感に包まれていた。
現地調査を行う中で、震災に遭われた方々と話す機会があった。防潮堤のなかった地域に住んでいた方は、実際に津波に流されながらも、たまたま木などに引っかかり、引き波時に沖に投げ出されず助かったという話を聞き、死に直面した人々が暮らす場所で、彼らの命を守り安心して暮らすための仕事をしているということを改めて実感した。
防潮堤は役に立ったのか?
そんな意見も世の中にはあったが、決壊しなかった箇所をみると避難時間の確保や被害の軽減、復旧の迅速化に寄与していたことが分かった。
また、早急にハード面の整備をすることによって、一刻も早く現地住民に安心を与えることが必要であるし、避難訓練などの防災計画であるソフト面での対策も合わせて進めていくことが重要だと感じていた。
10年目を迎えて、業務を振り返る
震災後10年目を迎えて、再び現地を訪れた。概ね設計通り整備が進み、当社で復旧設計を行った施設に関しては、一部を残しほぼ復旧工事は終了していた。現地を見ていると、復旧に向けて一心に設計した日々を思い出す。マリーナ施設に立ち寄ると、そこでは地元高校のヨット部が活動しており、元気な姿を見て嬉しく思う。
岩手県宮古港マリーナ復旧後
変わらないのは人の命の大切さ
今後、気候変動や技術の革新によって、防災の考え方も変わっていくと思うが、変わらないのは人の命の大切さだと思う。
また、いつ起こるか分からない、このような非常時に地元住民の安全・安心に貢献できるよう、日々準備をしておくことが私たちの使命であり、若い世代にもこの知見や技術を伝えていきたい。
Episode 2
事業統括本部国内事業部
地質・地盤部
A.YAMAMOTO
家から思い出まで跡形もなく流し去る
震災から8ヶ月後。盛岡から三陸鉄道北リアス線(以下、北リアス線)の島越駅(しまのこしえき)に向かって車を走らせていた。川に沿って道を下り海へと向かっていくと、全く異なる光景が目に入ってきた。津波によって全てが消え去った街だ。
私は神戸出身で、阪神・淡路大震災で一面焼け野原となった神戸市街の光景を今でも忘れない。そこにお住まいの方々が、ご家族の思い出の遺品などを探していた。ただ、津波は、家から思い出まで跡形もなく流し去るため、ご家族の遺品を探すことすらできない。
津波のあまりにもむごたらしい現実をまざまざと目撃し、復旧・復興に携わる思いが引き締まる瞬間だった。
三陸鉄道北リアス線島越駅付近の当時
復興の槌音を聞きながら
私は北リアス線の復旧にあたり、橋梁や盛土の設計業務の地質担当として参画した。
調査は、鉄道運輸機構の地質技術者に意見をもらいながら、鉄道で必要となるPS検層(ボーリング孔を利用して地盤内を伝播する弾性波の速度分布を測定するもの)などを行った。当時、ボーリングの位置出しに必要となる基準点もなく、津波から残されたコンクリートの壁などを頼りに、必要となる位置を測量した。これから冬を迎えようという寒空の中、盛岡からボーリングマシーンを手配し、日々山間部の宿から現場に通い、マシーンのダダダダというエンジン音、標準貫入試験のカンカンという反発音が、復興への槌音のように聞こえたものである。また、当時久慈市に当社の臨時事務所を開設して、資料の取りまとめなどを行った。常駐していた社員と震災のことや、復旧・復興のことを夜遅くまで語り合ったことを懐かしく思う。
北リアス線が全線開通
震災から3年後の2014年春、北リアス線が全線開通した。その際、お祝いのメッセージに一枚の写真を添えて、三陸鉄道様に送った。写真は、当時事業に携わった社内関係者が集まり、社屋の屋上で撮影したものだが、抜けるような青空で達成感もひとしおであった。その全線開通に陰ながら携われたことは大変嬉しいことで、建設コンサルタント冥利に尽きるものだった。
変わらぬ穏やかで豊かな海と共に
北リアス線は、大船渡市の盛駅から久慈市の久慈駅まで全長163km、全国一長い第三セクター鉄道として、地域の交通や産業を支えている。変わらぬ穏やかで豊かな海と共に、地域の持続可能な営みを支える鉄道であり続けて欲しい。
これからも鉄道だけでなく、地域インフラの持続可能性を高めていくことに貢献していきたい。
三陸鉄道北リアス線島越駅付近復旧後
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